乃木恒子(のぎつねこ)(のぎつねこ) 乃木恒子は乃木(希典)少将の娘である。 乃木希典は西南戦争の年から、その翌年にかけて熊本鎮台参謀に在任しました。その後、明治18年には、少将で歩兵第11団長となって熊本に再赴任しました。 そのとき生まれたのが恒子ですが翌19年に早世しました。 【場所】 熊本市花岡山 【所見】 乃木少将については、よく知っていたが、愛娘である恒子まで標柱まで建ててあることを知り、訪問してまいりました。 <2007/4/14> |
熊本ウォーキング協会HP管理人事務局 中島 昭様の熊本先哲の墓をたずねてより引用させて頂きましたが先生のホームページトップ「ふるさとの自然・旧跡を訪ねて」を覗いてみますとhttp://www1.bbiq.jp/kumamoto-walking/akira-index.html
熊本県の巨樹・古木new
と広い範囲で研究・探索・ご活躍なさってるみたいです。
私も散歩でこんな処に乃木大将の娘さんの御墓があるんだとは思いつつその経緯までは知りませんでしたが、先生のHPを覗いて「目から鱗」状態です。
また我が住む「花岡山」が花岡山 - Wikipediaによると「かつては朝日山や勢高山などと呼ばれていた。979年(天元2年)に祇園神社(現在の北岡神社)が鎮座してからは祇園山と呼んだ。 さらに1869年(明治2年)には桜を植樹したことから花岡山と呼ぶようになった。」という風に新しい名前である事も再認識いたしました。
下記ののご家族はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの抜粋ですが乃木将軍のご家族は皆さん短命で結婚前に亡くなられてご子孫はいらっしゃらないとの事でした。
またその下に愛馬も抜粋しましたが私の趣味が乗馬なのでつい目が行ってしまいましたが、馬の品種のスタンダードブレッド雑種も競馬ファンの方でもご存知の方は少ないと思いますが繋駕速歩競走競馬で活躍していたみたいです。その繋駕速歩競走競馬も速歩での競馬ですから人気が今一つだったのでしょう1968年12月、中京競馬場でのレースを最後に、中央競馬での繋駕速歩競走は終了したみたいです。
家族 [編集]
- 妻:乃木静子(湯地お七)
- 子供
- 孫
- 子供は4人とも子を持たないまま亡くなっている為、孫はいない。
- 養子
- 元智
(参考文献:乃木希典日記)
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