2009年8月3日月曜日

Reigando


雲巌禅寺・霊巌洞1
NHK大河ドラマ「武蔵」の放映によって武蔵ブームに沸いた2003年。

特に九州でも宮本武蔵が晩年を過ごしたとされる熊本県は各所のゆかりの地を巡るツアーが組まれ、たくさんの方がこの機会にここを訪れられたものと推察する。

熊本市西部に位置する金峰山の西麓に古くは南北朝時代に日本に渡来した元・曹洞宗の僧「東陵永與【とうりょうえいよ】」が開基したと伝えられる雲巌禅寺【うんがんぜんじ】
その雲巌禅寺の境内にある洞窟を霊巌洞【れいがんどう】と言い、宮本武蔵がこの洞窟にこもって兵法の極意書である「五輪書」を著した場所として広く知られている。

【雲巌禅寺】


雲巌禅寺境内は昭和50年5月、熊本県指定史跡及び名勝として指定されている。 宮本武蔵のゆかりの地として以外にも、洞内に安置される観音像は「岩戸観音」の名で、また、謡曲「桧垣【ひがき】」によって広く知られているそうである。

雲巌禅寺へは、岩戸の里公園として整備された駐車場から少し歩くことになる(2~3分程度)。その奥にある五百羅漢と霊巌洞のある境内からは有料となっている。
雲巌禅寺・霊巌洞2
雲巌禅寺・霊巌洞3雲巌禅寺・霊巌洞4雲巌禅寺・霊巌洞5
境内(有料)入場口「宮本武蔵」肖像画・作者不詳巌流島の決闘で使用された木刀
(レプリカ?)
雲巌禅寺・霊巌洞6拝観料を支払い、入場する所には武蔵の肖像画(島田美術館収蔵)や巌流島で佐々木小次郎との対決に使用したとされる木剣が飾られている(本物かどうかここでは深く追求しまい:上写真参照)。

少し歩くと大きな岩盤の上に並ぶ五百羅漢が姿を現す。ここの五百羅漢は熊本の商人によって奉納されたもので200年以上前のものである。そもそも「羅漢」とは釈迦の教えを聞いて悟りをひらいた俗体の弟子達のことである、と現地案内に記されていた。
古く平安時代から修験【しゅげん】の道場であったここは、鬱蒼とした樹木・奇岩と苔むした五百羅漢や不動明王の磨崖仏などで形成され、霊場たる独特の雰囲気を醸し出している。
雲巌禅寺・霊巌洞7雲巌禅寺・霊巌洞8雲巌禅寺・霊巌洞9
境内の一番奥にある霊巌洞霊巌洞内、岩戸観音が祀られる苔むした五百羅漢
境内に整備された小道を一番奥まで進むと霊巌洞がある。洞内は拝観しやすいよう木床となっており、岩戸観音が安置される拝殿や岩肌に雲巌寺の開祖・東陵永與によって刻まれた「霊巌洞」の文字なども見受けられる。

宮本武蔵がここ霊巌洞に籠もり「五輪書(ごりんのしょ:地・水・火・風・空になぞらえて五部に分け、兵法の奥義を述べた書)」を書き始めたのは寛永20年(1643)の秋と言われている。その僅か2年後の正保【しょうほう】2年(1645)5月19日、武蔵は病に伏し、熊本城内・千葉城址の屋敷で62歳の生涯を閉じることとなる。

五輪書は死期を悟った武蔵から高弟【こうてい】の寺尾勝信に伝授され、現在でも残る師範家は毎年5月19日の武蔵の命日に霊巌洞で「二天一流」と呼ばれる剣法を奉納し、先師の霊を弔っている。
雲巌禅寺・霊巌洞10
雲巌禅寺・霊巌洞11【岩戸の里公園から望む有明海の夕日】

故郷の岡山県宮本村(現在の大原町)を遠く離れ、波乱に満ちた生涯をふりかえり、剣の道をまとめ記するになぜこの場所を選んだか凡人には知るよしもないが、2004年を迎えようとする今日まで伝え語られる偉大人「宮本武蔵」を偲ぶに、ここは訪れるべき場所であることには違いない。


利用時間(無休)

4~11月 8:00~18:00
12~3月 8:00~17:00 
拝観料大人 200円小人 100円
 問合せ先:雲巌禅寺 TEL 096-329-8854

お客さんが霊巌洞に行きたいとの事だったのでバスの時間を調べて見ましたが、バスの本数が少なく現地に着いて霊巌洞を見物する時間と帰りのバスの時間とを考えると13:10交通センター発のバスしか使い物にならないみたいです。

交通センター☛岩戸観音入口 霊巌洞見物 
  13:10      13:40     (101)            


岩戸観音入口☛本妙寺☛ 杉塘 ☛ 段山 ☛ 交通センター
15:21       15:41  15:44  15:45    15:54 

帰りに本妙寺見物する場合は15:41本妙寺下車、細川刑部邸見物なら15:44杉塘で下車、島田美術館に行くなら15:45段山で下車の3パターンの応用が可能です。

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